8/5 ◇7/22 ◇7/22特派員レポート
7/21その1 ◇7/21その2 ◇7/19 ◇7/19特派員レポート ◇7/16 ◇7/14 ◇7/13 ◇7/12
 
06年高校野球雑記 ◇05年高校野球雑記 ◇04年管理人、高校野球に口を挟む ◇03年高校野球独善的観戦記
 07年野球部特集

 


8/5 鶴嶺高校の9年連続初戦突破の偉業度を検証する 他
 
今更ながらでスンマセン
 
 ボーッとしてたらいつのまにか神奈川大会どころか全都道府県の予選がすっかり終わっている。毎年のことながら、予選が佳境に差し掛かる頃は、本業と吹奏楽コンクールの取材が入り乱れて収拾がつかなくなる。

 さて、どうやら神奈川代表は桐光学園と決まったようである。

 何だか他人事のように書いてしまって申し訳ないが、茅ヶ崎近辺の学校がいなくなると急に熱が冷めてゆくのは致し方ないのであるよ。

 しかし、桐光というのはなかなかスゴイのである。

 何がスゴイって、彼らはこの全国一の激戦区・神奈川で10年連続ベスト8以上という安定度を誇っているわけだ。
(横浜もここ15年で13回ベスト4に入ってる...!)

 連続好きの私にとって、桐光のこの記録は燦然と輝いている。甲子園での活躍を祈りたい。

 で、この連載でもちょっと紹介したが、鶴嶺高校もなかなかやるもんだよ。何しろ9年連続初戦突破だからね。

 県内でどれほど9年連続で初戦を勝ち上がったチームがあるか調べました。
(ほかにやることはないのか、と言われるとちょっとツライっす)

 桐光の他には、武相・横浜商大・桐蔭・横浜創学館・藤嶺藤沢・藤沢翔陵・日大藤沢・東海大相模・光明相模原、そして、公立高校では前述の鶴嶺と大和西の2校である。

 200チーム前後が大会に出ている中でわずか11チームしか達成していない偉業なのである。
(北陵も一昨年まで9年連続初戦突破していた)

 選手は最長でも3年間ですっかり入れ替わるわけで、ある年度に力のある選手が揃っても、それが簡単には続かないのが高校スポーツの難しさでもある。しかも、野球というゲームの特性を考えると、「野球部枠」を持たない普通の(という言い方にはいつも何か引っ掛かりもあるが)公立高校が何年も続けて初戦を突破するというのは至難の業だと言えよう。

 だから、鶴嶺と大和西の両校はもっと称えられてもいいように思うが、神奈川では甲子園に行き着くまでに少なくとも7回は勝たねばならないことから、さして大きく扱われることもない。

 両校野球部の1・2年生諸君。是非、2008年夏、「10年連続初戦突破」を成し遂げ、ちょっとは世間を騒がせようぜ。

 ...と、ここまで書いて、世の中には恐ろしいチームもあるものだと痛感する。

 高知県の明徳義塾高校はナント12年連続決勝まで進んでいる!
(うち98年〜05年は8年連続優勝)

 参加校が32チームだからといって舐めてはイケナイ。決勝に行くためには4回は勝たねばならないのだよ。

 これに次ぐのが和歌山の智弁和歌山で、データでわかる範囲で言うと、この21年間で15回優勝。しかも、決勝まで来れば勝率10割というのはただごとではない。

 それにしても近年はどこも私学が強いっすね。こりゃ、今後、センバツの希望枠やら21世紀枠に続いて、「公立枠」でも作らねば公立高校は甲子園になかなか出られない。

 来年は90回記念大会だし、10年前のように神奈川は東西に分かれて2代表を送り込むことになるのだろうか。それでも甲子園は簡単には手が届かない場所である。そこで提案です。


 “関東公立枠”


 これは神奈川をはじめ、東京・埼玉・千葉などの大都市圏で公立高校(市立を含めることについては議論の余地アリ)の中で最も上位まで勝ち進んだ学校を集めて、その中から1校を甲子園に送るというものである。いやいや、関東だけだと「格差が...」などと言われかねないので、全国でブロックごとにやったらどうなんだね。

 こりゃ郷土愛をくすぐるぜ。予選で応援するのにも今以上に力が入るってもんだ。

 高野連も昨今いろいろと叩かれているので、ここでちょっくら思い切った手を打ってみちゃどうよ?これを実行すると、あんたたちが危惧している「野球留学」もグッと減ると思うぜ。それにね、埋もれていた素晴らしい指導者にももっと日が当たって、教育的効果もあるはずだ。

 詳しい話を聞きたいならいつでも来たまえ。
(おっ、高野連には遠く及ばないが、かなり高飛車だ)

 今ならこのアイデアを500万円程度で売ってあげよう。
(ま、買わんだろうけど...)

7/22 鶴嶺惜敗。茅ヶ崎勢姿を消す...
 
7/21の結果 3回戦 鶴嶺0−2立花学園
 
副題:脱・少年
 

 21日は観戦に行けず...。ネットで速報を見て、鶴嶺が0−2で第2シードの立花学園に惜敗したことを知りました。

 儚く、また、せつないものです。しかし、「期間限定」であるところに美しさがあり、見ている側は主にそこに惹かれているかと推測する。

 技術の高さを見たいなら、そりゃプロ野球には敵いません。隣近所の身近な兄ちゃんが、全身全霊を懸けてやるからこそ、「なんだか応援しないと」という気持ちにもさせるわけだ。
(このことは野球に限らないが)

 自らのことを振り返っても、「高校生だから純粋だ」とはとても考えづらいのだが、少なくとも野球をやっている時の彼らはとても純粋である。大人(たぶん私も含む)は自分にもそういう時代があったということをすっかり忘却している。だから、彼らのひたむきさが錆び付いた心の琴線に触れ、痛い、のだ。

 少年が少年でいられるのは高3の夏までである。というのが私の持論だ。
(少女についてのコメントは控えさせて頂きます)

 だって、この野球にしても「高校生の」という修飾語があるからこそ、高校入学後に初めて野球をやったという子から、果てはプロ野球やメジャーリーグを目指し、実際にそこで活躍するようになる選手までがほぼ同じ条件で戦えるわけだよ。つまり、何だかんだとあるにせよ、教師が、学校が、社会が「高校生までなら保護してあげよう」という気持ちを少なからず持っているのである。

 高3の夏までは、そうした社会の配慮にも支えられ(本人たちはあまり意識していないだろうが)、明らかに力量が違っても同じ土俵で戦うことを許されている。 しかし、その箍(たが)が外れれば、あとは基本的に何をどうするのかは本人任せ、というのが現実である。

 だからこそ、彼らには野球に向けていたベクトルを自らの歩みだす方向へと変えなさい、と言いたい。
(勿論、さらにもっと深く野球をやる、ということでもよし)

 昨日までは確かにそこにあったものが、今日そこにない、というのは痛烈な体験だ。それでも、野球をやってきた子たちは多くの観客が見守る中で、チームの敗戦というひじょうにわかりやすい形で思い知らされるので、実は幸せなのかもしれないのだが。

 だから、1・2年生と3年生では当然意識も違うし、その違いを埋めるのはほとんど不可能にも思える。下級生が活躍するチームが予想外に勝ち進んだりするのは、下級生たちの「まだ少年でいても構わない」という執行猶予の為せる業なのではないかと考えたりもする。

 この夏、少年を卒業する諸君へ。

 一生懸命野球やったか?エースにはなれなかったとしても、レギュラーを取れなかったとしても、もし答えが“YES”なら「イケてる大人」になる前提はもらったも同然だ。

 西浜・北陵・鶴嶺をはじめ、既に「脱・少年」の儀式を済ませた各校野球部3年生の今後に幸あれかしと祈念致します。

 鶴嶺高校野球部関係者には日をあらためてお話を伺えたら、と思います。

 尚、本日は20日の鶴見工業戦で敗れた北陵高校野球部についての特別寄稿「夏の終わり」(筆・東遼太郎特派員)を以下に掲載して終了します。
(あの、最終回じゃないんですよ。勘違いしないでね)
 


特派員レポートその2
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 ←特派員1号:東 遼太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 
【略歴】 北陵高校野球部出身。3年前のエース。4回戦で前年優勝校・横浜商大に惜敗後、管理人に英語と小論文を教わるという暴挙に出たにも関わらず早慶に合格。現在、慶応大学経済学部に在籍する傍ら、クラブチーム「茅ヶ崎サザンカイツ」の監督兼投手。大食い。通称「りょ〜に〜」
 
「夏の終わり」
 
あっけない終わり方だった。最後の望みをかけた2番からの好打順の最終回の攻撃も三者凡退で終わり、両チームの安打数合計が6本という投手戦は、2−0で鶴見工業が勝利し東海大相模への挑戦権を手にした。約1時間半という非常に短いゲームだった。

試合の詳細は新聞や管理人の記事に譲るとしても、力負けというか、北陵のエース永島は9回で被安打4自責点1と2回戦に続き好投するが、鈴木勝投手を中心とした鶴見工業の守りに屈した形となった。
結局、北陵打線の放った安打の全てとなった3回裏の大川、小澤の連続安打以外にもヒット性の当たりはあったが、ことごとく二遊間を中心とする好守に阻まれた。勝機はあったが、結果的に鈴木投手と鶴見工業守備陣の秀逸さを証明するような試合だった。

3年生はこれで引退であるが、試合後の解団式は驚くほどあっさりとしていた。毎年恒例となっていた、笑いあり涙ありの3年生から1・2年生へのメッセージはなかったし、もちろん嗚咽を漏らし泣き崩れる選手もいたが、その中心はほとんど2年生で、永島投手、柴田捕手のバッテリーや3番打者臼井などの中心選手に涙はなかった。あっけない終わり方の反動なのか、むしろ彼らの表情は晴れ晴れとしていた。

印象的だったのが他の選手同士が涙ながらに声をかけあっている脇で、明日以降、試合も練習もないはずの3年生、永島と柴田がストレッチをしていた姿であった。つまり次のプレー機会のためのコンディショニングであるクーリングダウンをしているシーンであった。
永島は以前から大学野球への興味があったようだが、柴田に関しては「まだわからない」と野球継続の意思表示をしていなかった。しかし「通っている治療院の方からの勧めもあって」大学野球への道を模索していくようだ。

「もう終わっちまったんだなぁ」「明日から勉強だ〜」という声も聞こえてきた。そう、敗戦は終わりを意味する。が、しかし同時に高校野球生活なんかよりもずっと長い人生が待っている。
齢二十の若輩者である私が、引退後の3年間で、高校野球生活で培ったものが活かされた場面は予想以上に多い。
前回の寄稿で語った「目標」に対するアプローチ。きっと、勉強、仕事、数多くの場面で君たちに恩恵をもたらしてくれるだろう。

残念ながら目標は達成されなかった。
夢は叶わなかった。
2試合とも選手交代がなかったため、試合に出られなかった3年生もいる。

もう、永島のすれる帽子も、柴田の二塁送球も、山崎の号令も、臼井のホームランも、相良のハンドリングも、大川の気合いも、高中の盗塁も、小澤の腰をかばう姿も、和田のクロスファイヤーも、高村のキャッチングも、宇都のしなやかなスイングも、藤本のピボットも、分部のコーチングも、高橋の伝令も、日下のバックホームも、田中の背走も、見られない。

だが、彼らの遺志は後輩へと受け継がれ、この夏が確かに存在したことの証明となるだろう。鶴見工業戦の翌日には今大会背番号10の橋場皓平選手が主将となり、新チームが始動した。

「今までありがとうございました」

ある選手に言われたとき、不覚にも泣きそうになってしまった。
とんでもない。このチームにわずかでも携われたこと自体、私の誇りである。
こちらこそ、今までありがとう。

ただ、緒戦から考えると3日間という夏は、あまりに短すぎないか。
もっと彼らの夏をみていたかった。

あっけない、夏の終わりだった。
 

 

7/21その1 北陵散る。「野球はピッチャーだ」
 
副題:管理人は「夏に北陵の試合を観る連続記録」をかろうじて更新
 
7/20の結果 3回戦 北陵0−2鶴見工業

 
 
 
 20日、北陵対鶴見工業戦(保土ヶ谷球場)を観に行きました。とりあえず、私の「夏に北陵の試合を観る連続記録」はこれで5年へと更新された。

 実は、この試合には勝つと踏んで、22日に予定される4回戦(平塚球場。対東海大相模)に行こうかなぁと思ったのであるが、初戦も観てないし、取材の下準備もあるしね、などと思い直して出掛けることにしたのであった。

 14:30開始予定の第二試合ということもあり、割と暢気に過ごしていたのであるが、ふとテレビ神奈川で第一試合の様子を見ると、まだ1時ちょっと過ぎというのに第一試合の東海大相模対五領ヶ台戦が5回コールドで決着してしまいそうな勢いだったので慌てて出掛けた次第である。

 案の定、原宿の交差点はひどい渋滞になっており、保土ヶ谷球場に到着すると既に初回北陵が先制されていたりする。

 そして...北陵は負けた。

 武相に勝った勢いに乗って3回戦も突破したかったのであるが、鶴見工業の鈴木投手を打ちあぐね、わずか2安打に封じられたのであった。
 
  
頭脳的投球術を見せた鶴見工業のエース・鈴木勝也くん。東海大相模戦での健闘を祈ります
 
 鶴見工のエース・鈴木くんはちょっと変則のスリークォーター。初回から安定したピッチングで、ゴロを打たせて取ることに徹していた。けして剛球というわけではないが、右打者の懐に切れ込むボールが効果的で、狙い球を絞らせずゲッツーを3つ取る素晴らしい投球であった。

 静かにアウトを積み重ねてゆく、という喩えがピッタリくる

 試合後、北陵コーチの小澤くん(一昨年の主将)によると「うちの負けるパターンにはまってましたね」とのことだったので、相手を褒めるべき試合内容だったと思われる。

 北陵の永島くんも4安打完投で投球内容は鈴木くんに負けていなかっただけに、責められる点はなかろう。惜しむらくは5回表二死からの失点か。1点差と2点差では終盤相手に掛かるプレッシャーが違うからね。

 ま、それも「れば・たら」なので言ってもしかたあるまい。
 
  
左)エース永島くんは2試合連続完投であった 中)武相戦のヒーロー半病人の小澤くん。試合後、力尽きて倒れるの図 右)大応援団の中でもひときわ声が通っていたマネージャーの稲毛さん。試合後の君の涙にもらい泣きしそうだったよ。
 
 私の取材ノート(そんなものがあったのか...)を読み返すに、「スタンドからは何だか試合が淡々と進む印象」とある。

 いやいや、勿論北陵が手をこまねいていたわけではないのである。鶴見工の鈴木投手の投球はそういう印象すら与えるほど、無駄なボール球を投げることなく制球されていたということであり、北陵の各打者は「打たざるを得ない」状況に追い込まれていた、ということなのだろう。

 北陵の永島くんも好投して、両チームともにあまりランナーが出ないということもあり、試合は恐ろしいまでのスピードで進行した。正確に計ったわけではないが、おそらく1時間半程度で終わったはずである。

 野球は攻撃側と守備側がはっきりと分かれるゲームであるが、しばしば「守備側でもピッチャーだけは攻めている」ということが言われる。 この日の両投手は十分に頭も使って、まさにそれを実践したようであった。ん〜、やっぱりゲームはピッチャーが作るものだね。

 こんなことを言ってしまうと身も蓋もないかもしれないが、「好投手にいいピッチングをされたら、そう簡単には打てねえ」ってことですかね。

 敗れた北陵であったが、冒頭部の写真を見てもらうとわかる通り、けして暗くなったりせず、やるべきことはやったという気持ちにはなれたようで救われる。

 松島監督は「相手の鈴木投手は野球頭脳が相当いい子ですね。こちらが勝負を仕掛けようとしたところではボールを長く持ったりしてじらしてきましたし、捨てようとした内角のシュート気味のボールも制球が乱れませんでしたから。うちの選手たちはあまり待球させると持ち味が出ませんので、攻めの気持ちで打たせるようにしました。せっかく来て頂いたのに申し訳ありませんでした。」と語ってくれた。

 「波が大きい」と監督自らが戦前に評していたチームだからこその武相戦大逆転。バントをほとんど用いない戦術は「攻める」という気持ちの表れにも思えた。惜しいチームが去ることになったが、新チームがどうなってゆくのか、また楽しみにしたい。

 インサイドレポートについては、また東遼太郎特派員にお願いするとしよう。北陵高校野球部関係者の皆さん、お疲れ様でした。
 
  
  
プラス・チア・学生・OB・父母・下級生部員といった高校野球応援の必要パーツが全て揃っている北陵。松島監督の目指す「愛される野球部」は間違いなく出来ている。それにしても1番バッターの吉川くん(だったと思う)の時は下級生部員とマネージャーが交互に中腰で歩くという応援で、彼がファールで粘り続けた打席では、応援側が倒れるのではないかと心配したぜ
  
最終回は2番からの好打順。反撃が期待されたが三者凡退に終わった。写真左は3番臼井くん。1年生の時からレギュラーポジションを取った逸材だけにもっと彼のバッティングを見たかった。写真中は最後のバッターとなったキャッチャー柴田くん。素晴らしい肩とバッティングは高校で野球を辞めるには惜しい。臼井くんや柴田くん、またエースの永島くんらには是非上のレベルで野球を続けてもらいたいと願う
高校野球のチーム解散はある日突然、しかも敗北と同時にやって来る。それをいかに受け容れ、消化してゆくかによって彼らの将来も変わる。監督は「毎年泣いている」が、彼らには一度泣き、そしてそれと真摯に対峙して欲しい
  
左)1・2年生に明日以降の指示を出す松島監督。ホント、監督業はツライっすね 中)父母集団。泣いている人もかなりいました 右)いつの時代もガキは金網につがみついて野球を見るものである。私は個人的にこの光景がとても好きだ
 
【こぼれ話】
 
 試合中・試合後に何人かの人から話を聞かせてもらいました。また、武相戦終了後の「特派員2号・佐藤亮太の渾身インタビュー」も併せて掲載致します。

■北陵野球部OB(現大学2年生)。彼は大学の授業を抜け出して応援に駆けつけた。
管理人「高校時代、野球をやっててよかったかな?」
Kくん「はい。今日スタンドに来て、現役生たちと交われるのかちょっと心配でしたが、スタンドに一体感があって、あらためて高校野球はいいなぁと思いました。野球は本当にやっててよかったです。一緒にやった仲間がいるというのは一生の財産だと思います。」

■北陵OG(現大学4年生)。教育実習でエースの永島くんなどを教えた経験あり。彼女は大学の授業終了後、タクシーでやって来た!
管理人「どんな気持ち?」
Wさん「ドキドキ。絶対に一度は応援に来ようと思ってました。負けて残念だけど、素晴らしかったと思います。」

■サード臼井くんのお父さん(管理人の高校時代の同級生)
管理人「残念でした。」
臼井さん「相手のピッチャーよかったね。横から見てるとわからないけど、うしろから見ると変化球とか凄いらしい。武相戦は応援していて鳥肌が立つほどで、1点取るたびに皆踊ってたんだけど...。毎年取材してくれてありがとね。」

 ちなみに、彼の娘はこの春から北陵野球部のマネージャーになった。今度はお嬢さんにインタビューさせてもらうね。

※武相戦終了後のインタビュー(あまりタイミングよくないけど許してね)
 インタビュアーは特派員2号の佐藤亮太くん(北陵野球部OB。5年前の主将で現在コーチ)です。

■松島監督
Q:試合前に考えたポイントは?
A:選手たちが力を出し切れるかどうか、ですね。
Q:試合を振り返っていかがですか?
A:勝つとしたらこういうスコア(8−4)という試合でした。
Q:失点のシーンについては?
A:3回の3点はうちらしい取られ方。4回は「1点はしかたない」という指示を出しました。
Q:今日のキーマンは誰だと考えていましたか?
A:やはり永島ですね。期待通りの活躍で、後半はよく持ち直しましたね。
Q:継投は考えていましたか?
A:最初から永島−橋場−永島という継投を考えていました。
Q:ベンチでの指示は?
A:今日は攻めろ!勝負だ!!しか言ってません(笑)
Q:いくつかバントが考えられるシーンもありましたが...?
A:バントの方が確率が低いかと思い、足で相手を崩そうと思いました。
Q:武相高校の印象は?
A:強さを感じました。武相高校のホームページを見ると強豪といい試合をしていましたしね。
Q:次戦への抱負を
A:まだ考えていません(笑)。今夜考えます。次がいつかも知りませんでしたから。

■小澤コーチ
Q:公式戦で初めて外野ノックを打ったわけだけど、いかがでしたか?
A:ノックデビューでしたが、なかなかうまく打てました。
Q:スタンドから見ていたときの気持ちは?
A:4点差になった時、気後れしていないか心配だったです。
Q:次戦へ向けてひとこと。
A:次の試合が落とし穴にならないよう、強気で。

■主将・山アくん
Q:試合前のチームのムードは?
A:ムードはなくて、いい状態で試合に入れました。
Q:点差をつけられた時は?
A:ミスから取られた点でしたが、1点ずつ返してゆこうという意思統一が図られ、ビッグイニングに繋がったと思います。
Q:追いついたあとは?
A:追いついたあとは、相手の方が厳しいと思って、さらに攻めに転じました。
Q:次戦へ向けての抱負を。
A:相手がどこであろうと関係ない。明るく楽しく一つになって頑張ってゆきたいです。

■タイムリーエラーの相良くん
Q:自分のミスで先制されたあと、チャンスでタイムリーを打ちましたが、どのような心境で打席に入りましたか?
A:ミスを取り返してやろうと思いました。
Q:その後どういう気持ちでプレーした?
A:エラーとタイムリーで開き直りましたね。
Q:自薦へ向けて抱負を。
A:ノーエラーで!!

■4安打と大活躍の小澤くん(小澤コーチとは親戚関係ではありません...)
Q:腰痛を抱えて、痛み止めを打ちながらのプレーだったけど?
A:乗ってきたら腰の方は全く気にならなかったです。
Q:チーム初安打を打ちましたが、どんな心境でしたか?
A:最初から強気で行けました。あの一本で力が抜けました。
Q:打席で心がけたことは?
A:自分のスイングをすることだけを考えていました。それが4安打といういい結果に繋がったと思います。
Q:次戦に向けての抱負を。
A:一戦必勝で!自分の役割を果たしたいです。

■マネージャーの稲毛さん
Q:3年生マネージャーは二人いるけど、ベンチに入る順番はどうやって決めたの?
A:春の大会が石川さんで終わったので。順番ですね。
Q:4点差になった時はどんな気持ちで見ていましたか?
A:ハラハラドキドキでした。
Q:1点入った時は?
A:スコアを書くのをそっちのけで、選手の輪に入ってハイタッチをしました。とても興奮しました。
Q:マネージャーの目から見て、ベンチの雰囲気はどうだった?
A:ミスしたあとも気持ちの切り替えがよく出来ているなあと。
Q:次の試合はスタンドからの応援になるけど、抱負を。
A:とにかく、皆に響く大きな声で応援します。
 

7/21その2 鶴嶺「雨だれ野球」で2回戦も制す
 
 
7/19の結果 2回戦 鶴嶺2−0湘南学園
 
 
 19日、平塚球場で行われた鶴嶺対湘南学園戦を観に行きました。

 真夏らしいとは言い難い天気で、私はこれで観戦が三度目であるが、ほとんど発汗していない。ま、平塚球場は駐車場からの距離が長いので、あまりの酷暑だと試合を観る前に倒れる恐れが多分にあるからこの程度の気温(25度以上30度未満)が望ましいと言えば望ましいわけだが...。

 昨年までの観戦がたいてい「クソ暑い」だったのに較べると、どうも夏を感じられないと申しましょうか...。ま、贅沢ですかね。

 さて、私は平塚球場というと、試合そのものの興味もさることながら、毎年「日本国平和の象徴」を見られる場所だという思いが強い。ま、皆地元民なのかもしれないが、スタンドに入らず(何しろ有料だからね)こっそりと試合を観られるポジションを確保する人がいるわけだ。強者はしっかりと折りたたみ式の椅子まで準備しているから、これは最早「たまたま通りかかった」といった代物ではない。

 今年はそれに加え、「猫まで平和」の図を収録するに至り、平塚球場の偉大さをあらためて思い知らされた次第である。
 
  
あんたたちがいる限り日本は平和だと言える!
試合後、屋根の下でだらだらする猫二匹。幸せか?
 
 あ、試合ね。鶴嶺が2−0で勝ちました。

 しかし、これがまた1回戦に輪をかけてヒヤヒヤものだったわけだ。

 鶴嶺の先発は背番号10の新井くん。それ以外のメンバーは初戦と同じである。そしてその新井くんはなかなかの好投を見せるのだが、打撃陣が初戦ほどは打てない。4回に1点先行したあと、6回は先頭の原くんがヒットで出塁し、内田くんが送って一死二塁としたが、ランナーが飛び出してチャンスを潰す。7・8回は三者凡退だったりする。

 勿論、湘南学園の先発(背番号6)の紀くんが好投しているからこその膠着状態ではあるのだが、ちょっとした流れで湘南学園の一気逆転もあり得るように見えた。

 結果論かもしれないが、7回ウラに一死一・三塁のチャンスでスクイズ失敗、ゲッツーとなったのが湘南学園にとっては痛かった。ここで同点になれば、鶴嶺もかなり動揺するだろうし、同点で迎える終盤、後攻めの湘南学園は精神的に優位に立つことも出来たろう。

 そこを乗り切って、1点差とはいえ最早鶴嶺の優位は動かないものだと感じられた。9回オモテに先頭の原くんが粘った末ツーベース、続く内田くんがまさしく「雨だれ戦法」の送りバントを決め、さらに3番山田くんが究極の「雨だれ」スクイズを決めるに至って、こりゃ決まったね、と私は思ったのだよ。

 ところが、初戦に続いて「試合が一度動くとまた動く」の法則は生きていた。

 勝ち急いだわけではなかろうが、新井くんが2つのフォアボールを出し、二死一・二塁。さらに牽制悪投でランナーがそれぞれ二・三塁に進むに至って、私は「おっ、こりゃドラマか?」などと考えた。一打同点の場面である。

 鶴嶺ベンチは背番号6の池田くんを伝令に出し、落ち着きを図ろうとする。

 そして打者・東くんに対して投じられたボールは鋭い金属音を残してセンター方向へと飛ぶ。

 瞬間、私は「これで延長戦か...」と思った。

 ところが、この打球をセンターの島田くんがファインプレーでもぎ取った。いやぁ、実に素晴らしいキャッチであった。お金を払って観る価値のあるエンディングが用意されていたわけだ。
(それをタダで観てたおっさんたちがいたことを忘れまい)

 試合後、加藤監督が父母たちを前に「1回戦以上にヒヤヒヤさせてごめんなさい」と謝ったほどのスリリングな展開であった。

 何しろ、これで3回戦進出である。相手は第2シードの立花学園。2回戦の厚木西戦を3−2の接戦で制しての勝ち上がりなので、手強いぜ。

 しかし、私は4年前、やはりシード校として登場した立花学園を鶴嶺が粉砕したのをこの目で見ているのだよ。
(詳しくはこちら⇒ 2003年夏「鶴嶺−立花学園」

 勿論、たやすい相手ではあるまい。鶴嶺が一貫して見せてきた「雨だれ野球」をここでも見せられる展開になれば、大いに勝利の芽も出てこよう。さらに、得意の接戦に持ち込むためには、先発が予想される早田くんに粘りの投球を見せてもらうことが前提となる。

 ひじょうに残念なのだが、3回戦は観に行けないので、何とか頑張ってくれと願うのみである。また取材できると嬉しいんだけど...
 
  
右)好投を見せた湘南学園・紀投手 中)湘南学園応援団。人数的にはちょっと寂しかったが、7名(たぶん)のブラス部隊が頑張っていたのが印象に残る 右)小学4年生と思しきガキ3名。彼らはすっかり解説者となり、ゲームを楽しんでいた
 
    
ドキドキものだった9回の攻防。写真は左から送りバントの内田くん・スクイズの山田くん・ホームインする原くん
  
写真右は9回二死二・三塁でセンターフライをスライディングキャッチした島田くん。実に際どい勝ち方ではあったが、それが鶴嶺らしい得意の形でもある。
  
鶴嶺はブラス・チアが大量参加。華やか!
 
内田主将、野球小僧にサインをねだられるの図
 
管理人「なかなかハラハラする展開だったけど...」
内田くん「守りはよかったんですが、ここで一本、というのがなかなか。さらに振り込みます。」

管理人「今日も一度例のサインプレーを仕掛けたよね?これは相手も研究していたから引っ掛からなかったのかな?」
内田くん「そうですね。1回戦を見られていますから。」
(でも、私は3回戦でも是非見せて欲しい...!)
 
管理人「3回戦に向けての抱負を。」
内田くん「相手が強豪なので課題を克服して100%の力を出さないと。連携をしっかり練習し直して、1点を取りに行くという野球に徹したいです。それが自分たちの色なので、それが出せれば...」

 大会前に取材させてもらった際、何度か出てきた「1点にこだわる」という言葉がここでも再登場。彼らの課題というのはどうやら「1点を取るために各自が何をするか、1点を防ぐために各自が何をするか」に尽きるようだ。

 9回オモテの無死二塁のチャンスに「打ちたくなかった?」と水を向けたが、「いえ、この場面では絶対バントだろうと思っていましたし、実際にサインもバントでした。」と、勝ち進むための「雨だれ戦法」を貫く内田主将であった。

 にしても、野球小僧たちからサインをねだられるとはなかなかやりますなぁ。で、その小僧たちもサインをもらう相手がセカンドの内田くんとキャッチャーの大海くんというシブさ。素敵だぜ、お前ら!
 
タイプの違う2投手をリードする大海捕手
 
 1回戦完投の早田くん、2回戦完封の新井くんという二枚看板をリードするのがこの大海陽平くんだ。私は実はこの大海くんが鶴嶺野球のキーマンなのではないかと考えていたりする。

管理人「今日は新井くんのボールを受けたわけだけど、どういう投球を求めていたのかな?」
大海くん「コントロールは今イチでしたが、ボール自体は走っていたので、変化球を見せ球にして、最後はストレートで押そうと。」
 
管理人「今年の鶴嶺はローテーション制?3回戦は早田くんかな?」
大海くん「おそらくそうなると思います。早田は変化球で勝負するタイプなので、その変化球が生きるように、小さくならずに大胆に行きたいです。」

管理人「具体的には?」
大海くん「インコースを大胆に攻めて、撃ち取るピッチングを心掛けたいですね。」

管理人「3回戦へ向けての抱負を」
大海くん「もしかしたら油断していたところがあったかもしれないので、気が緩まないようにしたいです。」

 身長167センチと小柄ではあるが、昨年から背番号2。8番打者ながらパンチ力もある打撃にも期待したい。
 
森マネ「叱り役に徹します」
 
 マネージャーは試合中は勿論、試合後も忙しい。でも、しっかりインタビューにも応えてくれました。

管理人「雨で順延というのは精神的にどうだったかな?」
森マネ「焦りが出たところもありましたが、相手も同じ条件なので。」

管理人「今日の試合を振り返ってどうでしたか?」
森マネ「うちの悪い癖なのですが、どうしても相手に合わせてしまうところがあって...。最後の守りとかでも、まだ課題がこなしきれていないところもありました。」

管理人「3回戦の立花学園戦に向けての抱負をお願いします。」
森マネ「格上相手なので、本気になれるというか。相手が強い方がうちにとってはやりやすいところもありますし、モチベーションはひじょうに高いと思います。調子に乗ってる選手がいたら、叱り役をやります(笑)」
 
 2回勝ったことで、マネージャーも成長して自信をつけたなぁ、という印象です。是非、3回戦でもマネージャーパワーを発揮して下さいね。
 
 

7/19 北陵、強豪・武相を破る快挙。今日は鶴嶺の応援に行くよ
 
副題:実は管理人は「連続」が好きだった...
 
7/18の結果 2回戦 北陵8−4武相
 
 やりましたね、北陵。
 
 私は我が身をちょいと恨んだよ。雨天順延が続き、さすがにこれ以上は「明日の授業はちょっくら時間変更ね」という荒業が使えない状態で北陵の初戦が来てしまい、観戦に行けなかったことを...。

 もし初戦で敗れれば、「2007年夏、北陵の試合を見ず」という記録が残ってしまうところであった。プロ野球の金本選手(阪神)の連続イニング出場やメジャーの松井秀喜選手(ヤンキース)が昨年ケガをするまで続けていた連続試合出場に較べると、ちょっとだけ(?)スケールは小さいが、「連続」という言葉には何となく心くすぐられるものがある。

 幼い頃、巨人の王貞治選手(現ダイエー監督)が「13年連続ホームラン王」(1962〜74年)という記事を新聞で読み、私は「ホームラン王は名前の通り王が取るもの」と決まっているとさえ思っていたほどであったし、物心ついた時には、「プロ野球では巨人が優勝するもの」と決まっているとも思っていた。
(巨人は空前絶後の9年連続日本一をやってのけた)

 そう決まっていると思っていても、実際の決着がその通りになって、嫌な感じは全くなかった。というより、むしろ「予定調和の美しさ」すら感じたものだった。

 だから、私は子供の頃、巨人と王が大好きだった。

 そんな「連続好き」の私が「夏に北陵の試合を見る連続記録」に執着を見せないわけがあるまい。したがって、私は2つの祈りを捧げていた。

祈り1:さらに雨が降り続き、次の休みの日に北陵の初戦が来たまえ

祈り2:北陵が武相を倒し、3回戦を観に行けるようにしたまえ

 って、誰に祈ってるんだね...。

 願いは通じるものである。北陵が強豪・武相を撃破したのである。しかも劣勢からの大逆転であった。

 勿論、試合は観ていないわけであるから、細かなことはわからないし、写真もない。試合経過そのものや投手成績・打撃成績などは新聞などに詳しく載るだろうから、そういったものについては譲ろう。
(これを「弱小メディアの開き直り」と呼んで差し支えなかろう)

 とりあえず、最終スコアは以下の通り。 
 
          武相 003 100 000 =4
          北陵 000 402 20X =8
 
  言っておくが、武相は紛れもなく強豪私立のうちの1校である。どのくらい強豪かと言うとだね、私の記憶に間違いがなければ(しばしば間違えますが)、私が小学6年生の時に初めて実施された「日米大学野球」に唯一2年生で代表選手となっていた東門明選手(当時早稲田大)が武相高校出身であるくらいだ。

 なぜ35年前のことを覚えているかと言えば、その東門選手が一塁ランナーだった際、内野ゴロ併殺を防ぐためにスライディングをせず二塁ベースに向かったところ、遊撃手(バニスターという名前だったはず)の送球が頭に当たり、そのまま意識が戻らず亡くなってしまったからである。

 あの大会には関西大の剛球投手・山口高志選手がエースとして出場していて、当時野球オタクであった私は日々新聞で日本代表の活躍ぶりを確認しては試合を空想していたものであった。

 そこに東門選手の衝撃的な事故があり、忘れ難いものとなっているが、新聞紙上に何度も「東門選手(武相高校出身)意識戻らず」と出るものだから、武相高校という名前がひどく刷り込まれているわけだ。

 ま、「ブソウ」という音もかなり勇ましい感じがするし。夏の甲子園にも4回出場しているし。

 その武相高校に勝ったわけだから、そりゃなかなかスゴイと言わせてもらいたい。

 さて、本論はここからだ。
(オイオイ、今まで前フリだったのかよ?)

 私がこの試合に於ける北陵の戦いぶりのどこに着目していたかというと、『学習能力』に尽きた。

 北陵関係者にとっては思い出したくない昨夏の同じ2回戦、対鎌倉学園戦。第3シードであった北陵は1回戦を免除され、2回戦が初戦となったのだが、1回勝ってきた勢いを持っているのが甲子園経験もある古豪であり、それはそっくりそのまま今年の夏にも当てはまることであった。

 今年は春季大会で好成績を挙げることができず、シード校ではなかったが、昨秋の大会でベスト8にまで勝ち上がったことを考えれば、シチュエーションはほぼ同じである。しかも、相手となる武相は1回戦を19−0という凄まじいコールドゲームで勝ち上がってきている。

 試練である。

 ここで、同じ轍を踏むのか、それとも乗り越えるのか。

 勿論、昨年と今年では相手も違うわけだし、北陵のチームそのものもメンバーは入れ替わっているが、ここを乗り越えられないと「うちはクジ運が悪いから」などと嘆くチームになってしまうのでは、という危惧さえ抱いていた。

 ホント、勝ってよかったね。おかげで次の試合は応援に行けそうだよ。
(フフフ...これで管理人の「夏に北陵の試合を観る連続記録」も更新されるぜ)

 一応、試合の大まかな流れを伝えるとだね、どうやら最初ショート相良くんのエラーから失点したようなのだが、その相良くんが反撃の口火を切るタイムリーヒットを打ち、一気に同点。9番に入ったライトの小澤くん(腰痛でほぼ半病人らしい)が4安打の大活躍で逆転。その後はエースの永島くんが武相打線を封じての勝利だったらしいぞ。

 こうやって書くと、身も蓋もないな。

 で、用心深い私はこんなときのためにこっそりと特派員を二人、相模原球場に送っておいた。二人とも私のかつての教え子であり、現在も北陵野球部と深い関わりを持っているので、実は私が書くよりよほどリアリティがある。

 ということは、私の廃業も近い、というわけだね...(涙)

 では、試合後に電話でインタビューさせてもらった松島監督の談話を掲載し、あとは潔く「特派員レポート」に譲ることにします。

管理人「最初4点リードされた時はどういう心境でしたか?」
松島監督「リードされても前向きで明るかったので心配はしませんでした。」

管理人「昨年とシチュエーションが同じでしたが、去年と敢えて変えたところはあったのですか?」
松島監督「いや、取り立ててそういうこともありませんでしたが、やはり去年はシード校ということもあって受けに回ってしまったところがありましたね。今年はとにかく攻める気持ちを前面に出していきました。」

管理人「それが逆転に繋がったと?」
松島監督「ええ。エラーした相良がタイムリーを打ったことで、それが一層出ました。本当に選手はよくやったと思います。永島もいいデキだったと思います。」

管理人「順調に行けば4回戦で東海大相模と当たりますが、まず3回戦の鶴見工業戦への抱負をお願いします。」
松島監督「初戦のことで頭がいっぱいで、ほとんど何も考えてはいないのですが、鶴見は好投手を擁しているので、やはり、攻める気持ちを忘れずに、というところですね。武相ともロースコアの好ゲームをしているようですから、気は抜けないですよ。とにかく一戦一戦、ですね。」

管理人「はい。ありがとうございました。次は応援に行かせてもらいます。頑張って下さい。」
松島監督「はい。わざわざありがとうございました。」

 人柄が滲み出るようなインタビューでした。試合を観ていない無礼者の私に対して、丁寧に試合の流れを説明して頂き、ありがとうございました。

 それにしても「打倒!私学」を一つの目標として掲げられていた松島監督、嬉しそうだったなぁ。私も釣られて嬉しくなりました。中1日ですぐに3回戦ですね。健闘を祈ります。

 北陵の3回戦は20日14:30から保土ヶ谷球場です。テレビ中継があるので、あまりに怪しい行動は避けた方が賢明ですなぁ...。さて、どうするか....。

 ちなみに、明日も「連続」の話を連続でお届けする予定です。で、本日(19日)は鶴嶺高校の2回戦を平塚球場に観に行く予定です。茅ヶ崎高校も勝ち上がっているので応援に行きたいのですが、全く同じ時間にプレーボールっすね...。ん〜....。

 では、以下に特派員レポート第一弾をお届けします。私とは明らかにタッチが違うので、きっと面白いと思いますぞ。第二弾も近日アップ予定です。

 請うご期待!
 

「北陵−武相」特派員レポートその1
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 特派員1号:東 遼太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【略歴】 北陵高校野球部出身。3年前のエース。4回戦で前年優勝校・横浜商大に惜敗後、管理人に英語と小論文を教わるという暴挙に出たにも関わらず早慶に合格。現在、慶応大学経済学部に在籍する傍ら、クラブチーム「茅ヶ崎サザンカイツ」の監督兼投手。大食い。通称「りょ〜に〜」

余程暇な人はこちらをどうぞ⇒ これが特派員1号だ
 
「目指せ!甲子園!」
 

高校野球が文化として根付いた日本では、使い古した言い回しかも知れない。
しかし、私にはそれが新鮮に聞こえた。

2007年1月初旬。毎年、茅ヶ崎北陵高校野球部は、その年の練習初めの午前中に近くの寒川神社へマラソンがてらお参りをしに行く。
そしてお昼は、父母会の方がお餅などの料理を振る舞って下さる(今年はとん汁だった)。そこで、選手・マネージャー・監督・コーチ・父母、関係者が一堂に会して各々がその年の挨拶や抱負を語る。

その新年会の場で、北陵の旧食堂に掲げられた横断幕が冒頭の言葉である。
父母会の方が、昨秋の過去最高成績タイの県ベスト8になったのを受けて掲げて下さったのであろう。

もちろん甲子園に出たくないチーム、高校球児などいるはずもない。
野球人であれば誰しも甲子園という場所を意識せずにはいられないであろう。
目指さない、というのが不自然なくらいに球児の羨望や憧憬を集める、甲子園とはそんな場所である。

ただ、普通公立校、こと北陵に関しては、これほど声を大にして「甲子園を目指す」と宣言することはいままでなかったであろう。

今までは、行きたいけれどもあまりの神奈川のレベルの高さに、公には良くて「ベスト4」、「打倒私学」。この程度の目標を掲げるに留まっていた。
個人として謳う者はいても、チームとして「甲子園へ行こう」と旗を揚げるには、それ相応の覚悟が必要だった。

しかし、今年は違う。

選手レベルでは主将の山崎を中心に、さかんに「甲子園に行くためには…」といった談議が交わされ、甲子園に行くためには、自分たちを実力はいかほどで、そこにはどれだけの差があって、それを埋めるには何をしたらよいか、そういったプランニングの段階から、彼らは思案し、そして妥協せずそれを実行してきた。


松島監督も部活ネットのインタビューで「甲子園に出て教員を辞めるというのが夢、というか目標」と語っている。その言葉に偽りはないだろう。
甲子園に行くために避けては通れない強豪私学。そこを倒すために、投手は単なる球速ではなく、球の出所の見難さや、動くボールを重視し、野手も細かなプレーより、個人の能力を上げることに時間を割き、徹底的に振り込ませ打撃中心のチーム作りを進めている。

その方針の一貫性に、潔ささえ感じる。


私は、一回り上の北陵のOBまで各世代に面識のある方がいるのだが、歴代の北陵でこれほどチーム一体となって高みを意識したことがあったとは考えにくい。
甲子園、行きたいし行けたら良いけど「夢」。

そう、今まで「夢」だったものが「目標」に変わったのだ。

だから、彼らはその目標に向かって鍛錬を積み、コンディションを整え、準備してきた。
その過程があってこその武相戦の勝利である。

世間的には大金星と思われているのであろうか。

武相の各投手から鋭い当たりを連発し、エース永島を良くリードした柴田も、
「自分の調子はまだまだ。これからです」と言い、
そのエース永島も、
「リラックスして臨めた。まあまあ調子は良かったです。次も粘り強く投げたい」

ベンチで戦況を見守ったマネージャーの稲毛は「みんなを信じていたんで、笑顔でいようと意識しました」。

他の選手の誰に聞いても「奇跡」だとか「まぐれ」だとか「金星」だというようなニュアンスの言葉は聞こえてこない。
焦点を当てて意識してきた武相戦。確かに勝利に皆、興奮気味ではあった。

しかし、各々の言葉の節々から、「今まで準備してきたものが出せた」、誇らしげにそう言っているように感じる。

もちろん、負ける可能性もあったし、スコアほど楽な試合ではなかった。しかし、この勝利は偶然ではなく必然である。

周到なまでの準備が、目標に向けたプロセスが、この勝利を生んだ。

そして、この夏は始まったばかり。

次に待ち受ける鶴見工業も好チーム。
さらにその次は、優勝候補の東海大相模が控える。

続く険しい戦い。

いくら目指したといえども、他の強豪に比べて甲子園に行く確率が多分にあるとは言い難い。
だが、彼らは高みを目指している。
そして、その高みに行く資格は十分に持ち合わせている。


ならば、ついていこうじゃないか。


見届けようじゃないか。


どんな最期でもいい。


あの日、初めて甲子園が「夢」から「目標」に変わった。


そんな彼らの行く末を。

 


7/16 管理人、雨に翻弄される〜今日は出来たんじゃねえの?
 
 14日・15日は雨天のため試合が中止された。ま、台風が近づいているんだから、しょーがないわな。と、自らを納得させたいところではあるが、15日はしょぼしょぼと雨も降るが、時折日差しも覗くという天気に「高野連も随分気が早く中止を決定したもんだ」とちょっぴり恨んだぜ。

 そのせいで私の観戦予定はすっかり変更となってしまった。最大の問題は15日に予定されていた北陵−武相戦(相模原球場14:30〜)である。15日ならもとから仕事の入っていない日だったので、暢気に観戦できる予定だったのだが、二日間順延されたことで、行くことがひじょうに難しくなってしまった。
(正確には行けないけではないが、行っても3回オモテの途中くらいで帰らねばならないよ...)

 思い起こしてみるに、北陵野球部の試合は確か4年連続で観に行っていたはずである。これはひとえに彼らの試合が私の家から近隣の球場で行われることが多かったことに起因する。私はたいてい夕方からは仕事があり、遠方の球場の14:30からの試合は観戦するのにちと厳しい状況にある。
(特に等々力球場と相模原球場)

 今年も昨年に続き、初戦が2回戦(昨年は対鎌倉学園)。しかも相手が甲子園経験もある武相高校であるから、戦い方もかなり難しい状況であり、そこを北陵がどう乗り切るのかを是非見たかったのであるが...

 どうせならあと2日順延してくれんかね。そうすると行けるんだが。

 でも、雨天中止が続くと高野連も慌てるよね。スケジュールはどんどんタイトになってゆくし。ま、ベスト8以上とかに勝ち残るチームにとっては選手(特に投手)の疲労も心配になるだろうだから、晴れてグラウンドコンディションのよい中でやらせてはあげたいところだね。

 で、実は14日昼間、ぐしゃぐしゃの雨の中、前日見事に初戦を突破した鶴嶺高校ナインを訪ねた。勿論、グラウンドは使えず、室内及び屋根のついた場所を利用しての筋トレ・素振り・トスバッティングなどで調整する姿があった。  
 
  
  
グラウンドはご覧の通り水浸し。雨で試合が順延になるというのはどういう気持ちだろうか...
 
  
左)前日の言葉通り、打ち込みに励む内田主将とトスを上げる森マネ 右は13日の試合でのベンチ内
 
 前日の試合後には話を聞く時間のなかった森成美マネージャーにちょっとだけ話を聞かせてもらいました。

管理人「昨日の試合、結構ハラハラしてましたか?」
森マネ「はい。でも、1回ウラをゲッツーで1点だけに押さえて、雰囲気が悪くなかったので、いけるかなぁと。」
管理人「監督さんや部長さんから、試合終了後に何か指示のようなものは?」
森マネ「まずはおめでとう、と言われました。ミスが少なく全体的によかったという言葉も頂きました。ただ、浮かれず、これからの一戦一戦に気を引き締めて、という言葉もありました。選手たちははしゃいだりもせず、冷静だったと思います。」
管理人「雨で順延、というのはどういう気持ちかな?」
森マネ「ん〜、微妙ですね。結果として勝てば「雨でいい休養ができた」ということになりますし、負けてしまうと...。だから結果によりますね。」
管理人「ごもっとも。さて、2回戦に向けてマネージャーとしてどんなことをしたいですか?」
森マネ「調子に乗ってるような選手がいたら、ちょっと絞めます(笑)。もう“恐い”と言われてもいいから、恐いマネージャーになろうと思います。」
管理人「チームとしての目標はベスト16ということですが、そのためにはこれからどんなことが必要ですか?」
森マネ「あと少し、というところを詰めていきたいですね。ベスト16には3回戦がひとつの山になるとは思っていますが、2回戦を勝たないことにはそのあとはありませんから、一つ一つ、でも先も見据えつつ、ということになると思います。」
管理人「ありがとうございました。2回戦も何とか応援に行かせてもらいますね。健闘を祈ります。」

 というわけで、鶴嶺高校は2回戦(対湘南学園)を18日正午より平塚球場で行う予定です。平塚で正午ならおそらく私も応援に行けるのでは、と自らに期待しています。

 ある意味で高校野球の王道をゆく「雨だれ戦法」にさらに磨きをかけて、勝ち上がってくれることを祈ります!
 
 

7/14 “雨だれ岩を穿つ”・・・鶴嶺野球で9年連続初戦突破!
 
7/13の結果 1回戦 鶴嶺5−3逗子
 
 13日はちゃんと試合開始に間に合った。というか、試合開始が予定(午後2時半)より遅くなったため、実は既に試合終了時間がとても気になる私であった。

 というのもだね、私事で申し訳ないが、既に夏期講習に入っている我が栄進予備校では本来13日の私の授業は午後5時から開始される予定だったわけだが、それを前日「すまんが13日は6時半からにしちくれ」と生徒たちに頼んで時間をずらしてもらったばかりなので、さすがにそれに間に合わなかったらちょっとだけ生徒たちにも悪いかなぁ...と。
(ちょっとだけかよ...)
 
 しかし、悪い予感は当たるもので、試合展開は相当もつれたものとなってしまった。ま、それは後述しよう。

 いずれにせよ、私は球場に到着した時点で「勝ったな」と思っていた。いやいや、何に勝ったかと言えば、“去年の自分”にである。

 昨年は新たな校舎を出したばかりで、本業が忙しく、部活ネットで私が外に出られる時間は極めて限られたものとなっていたため、野球部特集ではシード校であった北陵にお邪魔したのみであり、「特集」でもなんでもなかったし、大会もその北陵の初戦(対鎌倉学園)を観に行っただけで終了してしまった。

 部活ネット創設以来、あれほど不完全燃焼だった夏はなかったのである。

 八部球場に到着して、試合開始を見守った時、ちょっとした感慨に浸ったというわけだ。
 
  
1回ウラ逗子の攻撃。一死二塁からショートライナーを山田くんが好捕してそのままベースにボールを持っていない方の右手でタッチ。ゲッツー成立かと思われたが、当初二塁塁審の判定はセーフであった。その後、協議の末、アウトに変更となったのだが、審判は大変だ。ちなみに右の写真はゲームセットというわけではなく、アウトが確定して喜ぶの図である。
 
 さて、試合は鶴嶺の先攻で始まった。初回、3番に入った背番号16の山田くん(2年)が二死からクリーンヒットを放つも、0点に終わると、そのウラ、先発・早田くん(3年)の投じた初球を逗子の先頭打者・住沢くん(彼は先発投手でもある)がいきなり右中間にツーベース。2番がきっちり送りバント、3番が二塁打で、アッというまに先制されてしまった。

 その直後に訪れたのが上記のシーンである。ショートの山田くんは最初の打席のヒットといい、守備でのナイスジャッジといい、野球脳が素晴らしく、もしや彼が鶴嶺のラッキーボーイ的存在になるのではと予感する私であった。

 鶴嶺は2回は二死二・三塁 、3回は一死満塁と攻めるのだが得点には繋がらない。少なくとも序盤は逗子の内野陣は落ち着いているように見えたし、決定的な綻びはないように思えた。

 正直に言うと、私はこの時点で結構じれていた。だが、おそらく鶴嶺ベンチとしてはそうでもなかったのかもしれない。

 冒頭にもあるように、鶴嶺はこの8年間初戦に勝ち続けている。運やまぐれで達成できるようなことではなく、少しずつ少しずつ積み重ねてきた戦術というものがあるのだろう。それを名づけて「雨だれ岩を穿つ」作戦と呼ぶことにしよう。
(誰に呼び掛けているんだか...)

 略して「雨だれ戦法」とは、ランナーが出たら、相手の首を真綿で絞めるようにバントや走塁で揺さぶり続ける、というものであり、喩えて言うなら、洗面器に水を少しずつ貯めてゆき、ある水位に到達したらそれがこぼれ落ちるはず、という相手にとってはひどく嫌な戦法である。

 彼らは伝統的にこの戦法を体得しているため、一度や二度、その水位がこぼれるに至らなくても、さらに三度・四度と繰り返してゆくわけである。

 恐るべし鶴嶺DNA!

 そしてそれが結実する場面がやってくるのである。

 4回表、先頭の佐藤遼太郎くんが四球で出塁。ワイルドピッチで二塁に進んだのち、8番の大海くんが送りバント。これが思わずセーフとなり、無死一・三塁。すかさず9番の早田くんがスクイズ。これが成功して1−1の同点となる。逗子のちょっとしたミスを見逃さず、ついに洗面器から水がこぼれた瞬間であった。

 しかも、私が驚愕したのはそのあとである。一死二塁となったところで、またしても送りバントである。もし私が逗子のピッチャーなら「もういい加減にしてよ!」と言いたくもなるところである。

 ここをどうにか凌いだ逗子であったが、おそらくその脳裏に「鶴嶺の野球はねちっこい」と刷り込まれたはずだ。スポーツは野球に限らず、心理的な揺さぶりは勝敗を分ける大きな要因になるものだ。実際に1点を取られた逗子側に「簡単な試合にはならない」ことを見せつけた、という意味で、得点以上の効果があったと思われる。

 そして、私が思うにそのウラの攻防が試合の趨勢を決定づけたように思えた。

 ちゃんと数えてはいなかったのだが、この試合、三者凡退で終わるケースがほとんどなかった。それが鶴嶺が1点を取った直後の4回ウラ達成された。しかも、逗子の4番・峯旗くんがファールを打ち続け、延々とフルカウントで粘る中、早田くんが集中力を切らさず、ストライクを投げ続け、ついにはセカンドゴロに打ち取るというシーンがあった。

 そこにはゴロを捌いたキャプテンの内田くんの好守備もあり、さらには次打者のレフト頭上を襲うライナーを原くんがナイスキャッチするという伏線もあり、5回表の鶴嶺の攻撃に大きな期待が寄せられた。

 そして、「守備からリズム」「守備から流れ」というのは本当のことなのであった。

 5回表、先頭の山田くんがセカンドゴロエラーで出塁。そしてまた4番の松島くんが送りバント。それをキャッチャーが二塁に送球し、オールセーフ。序盤、落ち着いていた逗子の内野陣に少しずつ綻びが生じてきたことを思わせるシーンであった。
 
  
左)バントを決める大海くん。彼に限らず、徹底したバント戦術であった 中)完投勝利の早田くん 右)逗子のエース・住沢くん。彼はバッターとしても能力が高かった
 
 さらに続く島田心平くんも送りバントを決めた。一死二・三塁となったところで、ここまで耐えていた逗子のエース・住沢くんが暴投で鶴嶺が逆転。さらに、再度の暴投、大海くんのタイムリー、相手内野のエラーで計4点を奪い、明らかに流れは鶴嶺に傾いてきた。

 ところが、そのウラ、逗子も一死一塁から敢えて送りバントで得点圏にランナーを進め、そこから二本のタイムリーヒットが生まれ、5−3とすがりつく。

 よく言われることであるが、膠着していた試合が一度動き出すと、展開が目まぐるしく変化するものだ。まだ勝敗の行方はわからない。

 6回ウラ、鶴嶺に本日のハイライトと言うべきビッグプレーが出た。

 無死からヒットで出たランナーを一塁に置いて、バントの構えを見せるバッターに対してファーストの大倉くんが猛然とダッシュ。これにはスタンド観戦していた私も虚を突かれたほどで、グラウンド上の逗子の選手たちも驚いたのではなかろうか。で、実はこっそりセカンドの内田くんがファーストベースのカバーに入っており、牽制球でランナーを刺すというサインプレー(?)が決まったのだ。
(私もビックリして写真に撮ることが出来ませんでした...)

 勿論、何度も繰り返し練習してきたに違いなかろう。しかし、練習したからといって、本番で必ずしもうまくいくとは限らない。こういうビッグプレーが成功すると、大概は負けないものである。しかも、攻撃では飽くなき「雨だれ戦法」も続けている。
(結果として得点には至らなかったが)

 鶴嶺は自分たちのスタイルを貫いて勝利を手繰り寄せた。苦戦ではあったかもしれないが、実はこういう接戦をモノにするのが最も得意な形なのであろう。

 この鶴嶺野球が出来る限り、今後も大いに期待が持てそうである。2回戦も日程通り行われれば応援に行きますね。
 
  
左)攻守に冴えを見せた山田くん。内田主将との二遊間は安心して見られる 中)ホームペース上でのクロスプレーで逗子のキャッチャーが負傷。でも大事には至らず 右)逗子の円陣
  
左)逗子応援団 右)鶴嶺応援団 どちらもビデオ部隊が揃っていました
 
  
戦い済んで日が暮れて...
  
左)2回ウラの守備で負傷したファーストの大倉くん。元気に復帰しました 中)サードコーチャーを務める背番号6の池田くん。注目して見ていますよ 右)2回戦で当たる湘南学園と思しき偵察団。しっかりビデオも撮っていました
  
試合終了後、父母会・吹奏楽部・チアなどにお礼を述べる加藤監督・山口部長・内田主将
  
左)敗れた逗子から鶴嶺に千羽鶴が手渡された。逗子も好チームであった 中)試合終了後の儀式 右)逗子高校の解団式。選手たちだけでなく、応援の子たちも涙・涙...
 
ひとことインタビュー
 
管理人「本日の試合を振り返って、いかがでしたか?」
山口部長「序盤、ランナーが出ながら得点が入らないのもウチらしいと言えばウチらしかったですが、それでもプレッシャーを掛け続けることでいつか得点に結びつくという形が出せました。」
管理人「6回の牽制プレーは見事でしたね。」
山口部長「野球は練習だ、というのが出せたプレーでした。自信のあるプレーが出せたというのは練習の成果が出たということだと思います。」
管理人「2回戦へ向けて、お願いします。」
山口部長「うちのスタイルで、練習の成果を出せれば。頑張ります。」

管理人「おめでとうございます。試合を振り返って、いかがでしたか。」
加藤監督「春まで小松先生が指導して下さった財産がありましたので、どうにかなりました。2回戦も自分たちの野球をやるのみですね。」

管理人「いやぁ、あの牽制プレーはハマッたね。」
内田主将「かなり練習してきました。うまくいきました。」
管理人「バッティングではいい当たりが正面を突いたところもあったけど、2回戦へ向けての抱負は?」
内田主将「何とか1球で仕留められるようなスウィングをしたいですね。だから、明日も振り込むようにします!」
管理人「頑張って!」


 お忙しい中、お応え頂き、ありがとうございました。また見てみたい野球でした。2回戦の湘南学園戦も何とか応援に行かせてもらいますね。
 
 

7/13 西浜高校野球部へのねぎらいと審判の役割について
 
■驚異的な粘投・粘守■
 
 私が八部球場に到着した3回ウラ、西浜はピンチに見舞われていた。いや、この回だけでなく6回までは無死或いは一死でフォアボールかヒットのランナーを出し続け、それを鎌倉に送られては得点圏に走者を背負うという連続であった。

 しかし、先発した背番号5の2年生投手・相馬くんが必死に投げ、バックがそれに応えるように最小失点で食い止めるという展開で、「絶対に相手に流れをやらない」という意志が透けて見えるゲームであった。
(ちなみに、最終的には西浜投手陣は10安打・10四球を献上したが、鎌倉の残塁も12を数えた)

 そうしている間に、4回にはキャプテン・上園姿くんの大会第2号となるホームランが出るなどして、スコアの上ではつかず離れず、終盤を迎えた。
 
  
左)先発・相馬くん 中)ホームランを放った主将の上園くん 右)ピンチの連続も粘りで凌ぐ
 
 7回表、今年の西浜高校が標榜する「打ち勝つ」を実践するシーンがついに訪れた。しかも、それが看板の上位打線ではなく、下位打線によってもたらされたことが総合力アップの象徴であるようにも思えた。

 8番板垣くんがまず同点打、そして9番に入った宮本くんが逆転タイムリーを放ち、ついに試合は4−2と西浜のリードに変わったのだ。

 ちなみに、板垣くんは背番号15の3年生。チャンスを作り、ホームに還ってきた橋くんは背番号14の2年生だ。なるほど2ケタ背番号の選手が活躍すると盛り上がる。
 
歓喜の逆転シーン
 
 流れを掴んだかに見えた西浜であったが、野球の神様(いつも思うことだが、そんなものいるのか?)は決断がとても遅いらしい。そして、試練を与えることも嫌いではないようだ。

 7回ウラ、久しぶりに先頭打者を抑えた西浜がいよいよ流れに乗るかと思われたのだが、相馬くんに疲れが出たのかフォアボールを連発。それでも二死までこぎつけて、ここを無失点で乗り切ると西浜の勝ちが見えてくる、という局面であった。

 二死一・二塁 。迎えたのは七番打者。フルカウント。

 この場面が試合を決したと言えるところだったのかもしれない。私はバックネット裏で相馬くんの投げた運命の一球を見ていたが、あれはストライクとコールされてもおかしくない球であった。しかし、主審の右手は上がらない。

 勿論、誰も文句など言わないし、確かにまだ得点を許したわけではなかった。審判に試合進行を委ねているわけだし、彼らなしに大会も運営できない。微妙な判定は審判に任せるしかないわけである。

 にしても、だ。

 判定ひとつで流れが変わることは多々ある。この試合がそうでなければよいが、と思っていたが、ここから流れは鎌倉に移ってゆくこととなった。

 あの、勘違いはしてもらいたくないんだけど、あの球がもしストライクとコールされていたら、今度は鎌倉高校の方が同じことを感じたはずなのだ。つまり、ボール・ストライクやアウト・セーフの判定が機械ではなく人間によって行われる限り、どうしてもついて回る「疑念」のようなものがあるが、それも含めて野球だ、ということをまたしても思い知ったということだ。

 願いは、微妙な判定をする際に、審判の方は自信を持ってコールしてもらいたいということだ。自信なげなコールは、それに関わった選手・チームに思わぬ禍根を残すこともあるからね。
(今回は極めて「普通に」判定していたと思われる)

 結果論かもしれないが、このあと鎌倉の八番・星野くんと代打で1年生の加藤くんに連続タイムリーが生まれた。大きな流れは鎌倉へと傾いていったのだった。
 
  
  
上左)西浜応援団 上中)鎌倉応援団 下左)ベンチで指揮を執る武富監督と一柳マネ 下中)8回から登板した永石くん 下右)四番・岩切くん。この日は残念ながらノーヒット。もっと彼の打撃を見たかった...
 
 逆転された迎えた8回表、先頭の三番・上園くんがヒットで出塁するも後続なく、無得点に終わった。私はここで少し四番打者である岩切くんのことが気になっていた。

 一昨年の夏、彼は1年生で一塁手として出場していて、ハツラツとしたブレーが印象に残っている。当時は恐いもの知らずだったのかもしれないし、下級生という気楽さもあったろう。この夏、彼のバットから快音が発せられず(といってもたったの4打席しかなかったわけだが)、気負いがあったのかもしらんね。彼が打つシーンを見たかったなぁ。もう野球は辞めてしまうのかなぁ、などと考えてしまったよ。だとしたら惜しいね。

 8回ウラ、救援投手としてマウンドに登った永石くんは最初ストライクが入らず心配されたが、どうにかゼロに押さえ、最終回の反撃に期待したいところであった。

 いよいよ背番号17・飯田くんの登場である。
(彼は私がそんなに注目して見ているとは知らなかったであろうが...)
  
ある時はサードコーチャー。ある時は相手投手の投球練習に合わせて打つタイミングを測り、ある時はピンチヒッター。管理人は飯田くんの一挙手一投足に注目していた。
 
 負けているチームの9回の攻撃というのはいつ見てもせつなくなる。それは「あと3人アウトになるとチームが解散する」という切迫感が演出するものであり、選手たちの脳裏にもこれまでやってきた厳しい練習やその他諸々がよぎることであろう。硬式野球であれば、もう二度とそれを真剣にやることのない選手たちも大勢いるはずであり、その事実もせつなさを後押しする。

 9回、先頭打者の代打として飯田くんの名が告げられた。私はひどく思い入れを持って、彼の打席を見守った。

 結果は、彼が最も望んでいなかった見逃しの三振となってしまった。打席からベンチに戻る際の彼は私が正視することが憚られるほどの落胆振りであり、おそらくは涙が滲んでいたことであろう。

 もう君はあんなに懸命に野球をやることはないのかもしれないね。でも、その場所に立てたことは誇りにしてもらいたいよ。

 二死後、代打に高橋徹くんの名が告げられた。彼の背番号は1である。本来ならここで登場するのでなく、マウンドに立っているべき人物であったのだろうが、何らかの事情で西浜ベンチが選んだ策がこれであったことに、おそらく部員たちは納得しているはずだ。
 
  
最後の打者となった背番号1の高橋くん。泣くな!高橋...
 
 最後の打者となった高橋くんが一塁ベース上で泣き崩れた瞬間、ゲームは終わった。

 神奈川では194校がこの大会に参加しているが、そのうち193チームはこうやって敗れ去ってゆくことになる。美化するつもりは毛頭ないが、やはりそれは美しいと思う。

 力を100パーセント出すことはできなかったかもしれない。それは相手がそうさせまいとするわけだしね。でも、守備から破綻することもなく、上園くんの一発や下位打線からの逆転劇もあり、懸念されていた「緊張感から全く力が出せない」ということはなかった。私も胸が躍り、せつなくもなったよ。

 お疲れ様でした。3年生諸君は少し休んで、進路のことも考えないとね。下級生のみんなは、また来年会いましょう。楽しみにしているよ。

 試合終了後、部長の堀先生にひとこと伺いました。

管理人「彼らは力を出せたのでしょうか?」
堀部長「チームとして全てを出し切れたとは言えないでしょうが、それは鎌倉高校も必死ですからね。でも、リードされても諦めたようなムードは一切なかったですし、下位打線で逆転したということもあって、それなりに頑張れたと思います。」
管理人「私もナイスゲームだったと思います。お疲れ様でした。」

 スタジアムの外に出て、西浜高校野球部は解団式(?)を行っていた。武富監督が涙を拭いながら3年生の一人一人に語り掛けていたシーンには胸が熱くなりました。
(実は武富監督は私の教え子でもあります...)

 西浜高校野球部に幸あれ。
 
  
上左から 武富監督・堀部長・一柳マネ
 

7/12 今年も書いてみます...「中止」っていつ決まるんだ?
 
7/11の結果 1回戦 西浜4−6鎌倉
 
 いよいよここ神奈川県でも7月11日より本格的に予選が開幕した。

 いやいや、実は開幕しないんじゃないかと思っていたんだよ。というのもだね、重度の夜間生活者である私・管理人は取材させてもらった西浜高校の初戦を観戦すべく前日から準備に余念がなかったわけだが、何しろ雨が降っている。しかも、YAHOOのお天気情報を見ると、11日午前1時半頃の発表で「湘南地方に大雨・洪水警報発令」と出ているではないかね。

 大雨警報が出ているのに野球やってる場合じゃねえだろ、と思いながらも、雨天順延になると綱渡りのような管理人のスケジュールは全てぶち壊しとなり、一度も試合を観ることが叶わなくなる可能性もあるので、ちょっとくらいの雨ならやってくれ、と願う気持ちも混じり合っていたことをここに告白する。

 でだ、朝6時過ぎに再度天気予報を確認するとだね、警報が解除されている ...

 ん〜、対処に困ってきた...

 致し方なく、会場である八部球場に連絡しようと思ったら、まず「iタウンページ」では八部球場という名称での登録は1件もなく、さらに致し方なく、神奈川県の高校野球を扱うサイトをグルグルと巡ってみたわけだが、どうしたものか、球場へのアクセス地図や写真は載っていても、電話番号が掲載されたサイトは一つもない...(あくまで私が見た限り、という意味だが)

 で、またまた致し方なく「iタウンページ」に戻って、怪しそうな“鵠沼運動公園”というところの電話番号を控え、連絡した頃には既に午前8時を過ぎていた。

管理人「あの〜、八部球場の試合があるかどうか教えて欲しいんですけど〜」
受付のおねいさん「はぁ、私どもではちょっとわかりませんので、野球場の方の電話番号をお伝えしますので、そちらで伺ってみて下さいませ」
管理人「あい」

 朝イチでこんな電話が私だけでなく、いっぱい掛かってくるわけだろうから、さぞやブルーな気持ちになっているに違いないが、清々しい応対!エライ。

 で、いよいよ八部球場に電話する。

管理人「あにょ〜...」
受付のおねいさん「本日の試合のことでございますか?実はまだやるかどうか決まっていないんですよ。このままだったらやると思うんですが、雨が降ったりするとわからないですね...」
管理人「あい」

 そうか...。試合開始3時間前くらいだとまだ決まっていないのね。この時、雨はやんでいた。

 ここで私は思わず寝入ってしまうという失態を見せた。というか、人間ちっとは寝ないと死んじまうから、ある意味で自然現象ではあるが、気づくと午前11時半...。試合開始は正午である。空を見上げ、怪しい雲行きであるがザーザーとは降っていないことを確認して、いよいよ最後の電話を掛けてみる。

管理人「あにょですね...」
受付のおねいさん「決行です!(キッパリ)」
管理人「あい」

 急いで球場に向かって出発する私であった。
(すんません。到着したら3回ウラでした...)

 というわけで、初手から遅刻。でも、そこからはちゃんと観させてもらいました。

 で、本日思ったこと。

 試合の中止・実施は一体いつ誰が決めるものだろうか、と。

 いやいや、お天道様相手だから、誰かに責任を取ってくれ、というつもりではないんだよ。でも、考えてみると、神奈川では現在10球場を使って毎日2試合ずつを消化するというスケジュールであり、これがちょっとでも狂うと関係者に多大な影響が出ることになる。思い起こしてみると、私はこれまで観戦に行こうとした試合が中止になったことが一度もなかったが、それは梅雨時に行われる大会であることを考えると奇跡的なことなのかもしらん...。

 さて、試合の方は「打ち勝ちたい」と意気込んでいた西浜が、その打力の片鱗を見せつつも、鎌倉高校に惜敗した。

 試合経過ならびに結果については神奈川新聞や各種サイトをご覧頂く方が適切でありましょうから、私はフリーの立場で、ある意味で茅ヶ崎地区の学校に明白に肩入れしつつ、いくつかの視点から観てゆきたいと願うものです。

 ヘンなことを書く恐れは毎年のことながらありますが、書いたことには責任は持ちたいとも思います。

 本日は「序章」ということで、いよいよ明日から(たぶん)本格的に(本人の感覚によるものですが)書きたいと思います。下の写真はその予告編とでも言いましょうか...

 では、また。

 
 西浜高校に取材に行ったのが7月4日。わずか1週間前のことでした。

 勿論、その時は彼らの心の中に「負ける」という言葉は存在しなかったでしょう。

 この写真は、西浜高校野球部を紹介する際に使おうかどうか迷ったものでしたが、紹介のページでは「まじめな(?)」集合写真を使うことにして、試合報道の際にこれを使おうと決めたものです。

 茅ヶ崎地区の野球部を取材し始めて5回目の夏。「自分がヘッドスライディングしますので、そのあとの写真を撮って下さい」などという申し出を受けたのは初めてでした。きっと朝日新聞相手にはこんなこと出来ないですもんね。

 ヘッドスライディングしてくれたのは背番号17の飯田拓也くん(3年)。私はこっそり、彼がどんな最後の夏を送るのかに注目しようと決意したのであった...。
(って、そんな大袈裟なもんじゃないんですけど)